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頑張ってればいいことがある! 藤原先生と藤原先生と

小学校から学校にあまり行かず、中学校では完全な不登校、高校でキックボクシングと出会い一生懸命打ち込む。
外国人初のタイ国ラジャダムナンスタジアムチャンピオンとなった藤原敏男先生に憧れ、自分もいつかと夢に向かうも、眼を怪我をしてしまう。
左眼上斜筋麻痺。
1年間いくつもの病院を渡り歩き、手術は5回。
しかし、自分の求める状態にまで治癒することはなく志半ばで引退を決意。

現役時代は旅に出てみたいけどキックボクシングの選手だから、引退したら世界放浪しようと想いながら、いつも見ていた藤原新也先生の『全東洋街道(上・下)』。
眼の手術を繰り返し治療を待つ1年間も何度も見た。
旅行が現実になりつつあることを感じながら、でも、まだ自分は治りたい。
まだリングに上がりたいって思いながら心の葛藤をしながら見た。
その写真は眼の怪我のため視点がブレて片目でしか見れなかったけど…。


その後、引退して自分が本当にどうしようかと思った時、旅に出ることも考えたけど結局新しい生活を作ることが前に進むことかなぁと考え、上京して全くキックボクシングと関係ない生活を始めた。

それから数年、様々な方と出会い、考えて、やっぱり本当に好きなことをしようと考えキックボクシングジムを始めた。
ジムの名前はストラッグル。
懸命に頑張るという意味合いもあるが、もがくとかそういう意味もある。

今でも色々と大変なことは多いけど、ジムに来てくださる会員さんたち、応援してくださる皆さんのお陰で楽しく毎日キックボクシングを教えている。


東京に来て自分の憧れた方とお会いできる機会が少しづつ増えた。

昨日は自分がアジアの旅に出たいと思った写真家の藤原新也先生とお会いすることができた。
しかも、現役時代に憧れた藤原敏男先生も一緒に。
会に呼んでくださったソムチャーイ高津さん、本当にありがとうございました。

憧れたお二人。
藤原新也先生は全然偉ぶらず、自分の質問にも答えてくださり、アドバイスをくださったりと初めて会った自分にも親しく接してくださいました。
藤原敏男先生は何度もお会いしていますが、いつも本当に良くしていただいています。

人生色々大変なこともあるけど、頑張ってれば良いこと、嬉しいこともあるなって思う。

眼を怪我して悩んでいた自分は今の自分を見てどう思うかなぁ。
人生頑張ってればいいことがあると思う。